6年が経ち

やっと、庭にも手が入り、薪棚も完成。ホームパーティーも増えました。
今年の記録的な猛暑も、1階はすこぶる涼しく、快適に過ごしました。2階は私が夜寝るだけにと作ったこともあり、日中は暑かったです。2階の読書室にはキッズドラムも増え、家族コンサートの練習の毎日ですが、さすがに昼間はやる気になりません。天井近くに換気扇を一つ設けると、ずいぶん違うのかな。
それでも、私たちの2階寝室にはクーラーだって無いんだし、他より涼しいのかも。
熱帯夜と言われていた蒸し暑い夜も扇風機で空気を循環させて朝まで寝ていました。
子供たちも檜の床板の上でよく寝ていました。
寝る子は育つ。みんなすくすく育ちました。
家庭菜園で美味しい野菜を作ってくれたり、薪割りを手伝ってくれたり、泣いたり笑ったり。。。
あと何年、この子たちとここで過ごすことができるのでしょう。

薪ストーブ

我が家のストーブはネスターマティンS43です。 触媒を使わないストーブですが、熱効率抜群のストーブです。アメリカの規格であるクリーンバーンには(あえて)登録してないんですが、その燃焼効率の高さから、ネスターマーティン社のストーブは世界で唯一、針葉樹も燃やせるストーブなのです。もちろんメインは樫などの広葉樹ですが、端材などがすぐ手に入る宮崎に豊富な杉やヒノキも木の特性を生かした利用で活躍しています。 このストーブの輸入元の京阪エンジニアリングの社長さんご夫婦にお越しいただいた際、御社での研究結果を元に昨年から針葉樹使用していますが、先日のシーズン前煙道メンテナンスでも状態はすこぶる良好のようでした。
 休日はストーブでクッキーを焼いて過ごしました。
 子供たちも、休日にどこかに行きたいとか、言わないんですよね。


今は秋

 我が家は5回目の秋を迎えています。 新居の木肌につかまり立ちをしていた末っ子も来年は小学生。相変わらず毎晩床で寝てしまってますが、 今朝は今年一番の寒気で薪ストーブに火が入ったし、風邪引かせそうで心配です。 新居も子供の成長痕を増やしながら、歳を重ねていますが、相変わらす快適です。 新燃岳の火山灰をかぶった庭は、そろそろ手入れやり直しを考えていますが、この家に手を入れる気にはなれません。外壁の塗装など定期的なメンテナンスだけかな。 いっぱいいっぱい、悩んで時間をかけて、繰り返し繰り返し大工さんと話をしながら作ったからでしょうね。

その39 はじめに

新居に越して半年経ちました。施主として家作りを振り返って思う事は、自分は本当に幸せ者だということ。

マイホームの夢を実現した人々の多くがせっかく建てたマイホームに(というか建築そのものに)不満やトラブルを抱えていて設計事務所や工務店に不信感を抱いているらしい。
もっと言えば、「建築中から、ちゃんとやってくれてるのか不安はあったけれどどうしようもないので半ばあきらめていた。」極端な例では「施行中はまったく任せっきりでなんにも知らずに出来て初めて....ショックでした。」などなど。
「相手はプロなので家作りこういうものですと言われれば言い返せなかった。後は盲目にそうなんだと自分に言い聞かせていた。」
ましてやマンションや建て売り住宅など建築過程を知らないケースでは言わずもがな。
大手建築会社が異口同音に唱える「経験」と「実績」の呪文で言葉が出なくなる。施主も薄々判ってるのにどうしようもないんです。
(宮崎 木の家 自然素材の家)

その35 キッチン


我が家の奥様の毎日は3人(私も入れて4人?)の家庭内テロリストとの戦いです。キッチンは奥様の城ですから、彼女のために(ひいては私に怒りの矛先が向かないためにも)快適なキッチン空間作りをしようと決めました。奥にはパントリー兼奥様の勉強部屋。床下収納も完備。ワインや梅酒の貯蔵庫も兼ねますが、すぐ飲んでしまうので貯蔵できません。本当に勉強してるんでしょうか。でも、それが現実です。

夏は西日が北側のキッチンにも差し込みます。また、窓の先、眼下の道路は近所では人気のジョギング&ウォーキングスポットです。そこで、キッチンの窓はトステムのブラインドインにしました。西日の調節や道路からの目隠しも自由自在。そして北側にもかかわらずブラインドによる光の反射でいつも明るいキッチンになりました。もちろん、ブラインドインなのでお掃除も通常の二重サッシとかわりません。(宮崎 木の家 自然素材の家)

その36 こだわり



 施主(家を建ててもらう人)にはそれぞれこだわりがあります。
できればこだわりを活かしながら住みやすい家を持ちたいですね。

 1階リビングの椅子は天井の梁をそろえて切り落とした木材に滑車を付けてもらったもので、2階の読書室にもあります。(宮崎 木の家 自然素材の家)

その38 このブログについて

 私たち日本人は森を切り開いて文明を築き、
木を刻む民族として世界でも類を見ない高い木工技術を持っています。
 その芸術表現は島国という地理的条件に守られ1500年余りの間、
細工から大工まで幅広い発展を遂げてきました。
 そして天然の調湿機能を有する木で作られた住居は温暖で多湿な環境の
我が国では無くてはならないパートナーでした。
 それは木の育たない寒冷な環境で生まれた石造りの住居文化とは
全く異なったものでした。



 しかし近年、鉄鋼技術の進歩とともに先進国の仲間入りを果たし、
いつしか木工は過去の遺物のようにあつかわれ、
徒弟制で引き継がれてきた伝統技術も活かす場を失い、
新建材による工期の短い家作りに押されて次々と途絶えてしまっています。
 このままでは伝統の知恵と技は伝統から伝説へとその形を失う日も
遠くないような気がします。

 このブログは「本当にいい家」とは何かを問い続けて
一つの答えにたどり着いた一人の大工を通して、
日本の気候風土を知り尽くした家作りを広く紹介したい、
そんな思いで起こしました。(宮崎 木の家 自然素材の家)

その37 読書室


ここは2階の読書室です。


奥の2つの子供部屋は寝るだけの4.5畳ですが、
大黒柱に収まる建具を引くと読書室です。



風が最高に気持ちいい場所です。
山の景色を楽しめるように障子は引き込めるようにしてもらいました。



後日ピアノが帰ってきました。森のコンサートホールのようです。(宮崎 木の家 自然素材の家)

その33 導線の工夫



 まだ子供が小さいため1階が身支度の場になります。
我が家の廊下は身支度の場でもあります。
そのため幅も120cmとりました。



廊下はその中央部でキッチンから洗濯機への導線と交差した後、アイロン台ー洗濯物干場へと続きます。小さな子がチョロチョロしている我が家では立ったままかけられるアイロン台は便利です。上には洗濯物干がかけられるポールが付いています。ここで洗濯物をかけて外へ持っていきます。(宮崎 木の家 自然素材の家)

その32 玉虫



30年ぶりの再会でした。子供が小学校の校庭で見つけた(友達からもらった)もの。翌日には我が家の庭に脱走。玉虫色の未来(いい意味じゃ無いか)を祈る。(宮崎 木の家 自然素材の家)

その34 トイレ



 毎日一番お世話になるところ。気持ち良く使いたいものです。
風の通る家だけに匂いが出ないトイレにしたいと思いました。(宮崎 木の家 自然素材の家)

その31 スキンシップしていますか?(その2)




母と子の距離ってこのくらいがちょうどいい?(宮崎 木の家 自然素材の家)

その30 スキンシップしてますか?



雪の韓国岳です。3歳から登山に連れていっています。(宮崎 木の家 自然素材の家)

その29 洗面所



これまで我が家の朝は毎日が戦争でした。
特に洗面所では70cm四方に3〜4人がひしめいていました。
これからは小鳥のさえずりを聞きながら、
ゆったり朝を迎えたいものです・・・。

その28 和室




南東に面した和室は約20cm高くしました。
もしリビングフロアで綿埃がイナバウアーを始めても
洗濯ものたたみやおむつ替え、赤ちゃんのお昼ねから
パパのごろ寝まで大活躍です。

その27 今夜は初お泊りっ \(^o^)/




左手の二段の棚は作り付けです。いずれはパソコン台と飾り棚ですが、
とりあえず音楽でも。天井の黒い紐みたいなものはスピーカーケーブルです。

その26 大黒柱の細工














 大黒柱である丸太の木肌の溝には、和室や内玄関、 子供部屋の建具が収まります。
 これから子供たちはこの柱に触れて叩いて幼稚園や学校に行くでしょう。

その25 階段がかかった




ワンパクな男の子ばかりの我が家には「蹴っても足が痛くなるだけ」の分厚い無垢材で作られた階段がお似合いです。

その24 びっくり箱



我が家は2階に吹き抜けがあります。実は棟上げの日に知りました。

その23 そぎ貼り


















棟上げが終わったら「そぎ」貼りです。前に書いたように「トントン」とも呼ばれます。
木の赤身と白身でできる模様が奇麗にそろっていて、これらの木の板がもともとひとつの木だったことがよくわかります。


近年ほとんどすべての住宅では、屋根の下地にルーフィングといわれる防水シートを使用しています。このシートは調湿しませんのでシートの下はカビの温床となり易く住居にとっても住人にとっても決していい環境ではありません。その上、ルーフィングは10数年もすれば劣化してしまいます。そぎ/トントンは100年保つと言われますが手間がかかるため敬遠されがちで、そぎを作る職人さんも今では少なくなり宮崎でも2件だけになってしまいました。いったいいつまでこんな家が作れるのでしょうか。
 伝統の技がどんどん失われています。

その22 せんぐ撒き















子供たちを集めてのせんぐ撒きはすっかり遅い時間になってしまいましたが大勢集まってくれてとてもにぎやかで楽しいお披露目になりました。

その21 棟上げ2日目



棟上げ2日目も大仕事でした。
棟梁の皆さんが力を合わせて巨木を組み上げていきます。
組み上げるのに木ねじは使いません。
木に開けた「ほぞ」という溝に木をはめ込んで組みます。
ときには上空でノミでほぞを調整します。
湿度などにより木は微妙に形を変えるため細かい調整が必要です。

その20 棟上げ初日終了


2日がかりの棟上げ。
ようやくその初日が無事終わりました。
ただただ圧倒され続けた一日でした。
山小屋のはずですが
なんだかパルテノン神殿みたいですね。

その19 棟上げ初日も大詰め


巨木を組み上げていくとまるで神社のようです。しかし、材料が大きいと作業は大変です。どんなにあらかじめ測って刻んでいてもうまく合わないこともあるようです。クレーンでつり上げたままノミで調整していました。

その18 恵比寿柱


手前が恵比寿柱。奥が大黒柱です。

その17 大梁


言葉はいりませんね。

その16 木材の太さ



桁材にはいつも8寸幅を使うそうです。
(ちなみに一般的な家屋では5寸です。)
ただし、この家の桁は特別太いそうで、
幅が尺2寸で厚さは5寸です。
1尺が10寸、1寸が約3.33cmですから
幅約40cm、厚さ16cm余り、ということになります。

その15 棟上げ1日目



私たちの家を作っていただいた大工さんは基礎と外周り以外は一人で家作りをされています。ただし棟上げは、普段はそれぞれ棟梁として鳴らす仲間のみなさんが十数名で加勢して2日がかりでした。柱は4寸。通し柱は5寸といずれもひとまわり太いのですが、それが細く見えてしまうような大黒柱、恵比須柱、大梁に桁材です。

その14 これなんですか?


「トントン」とか「そぎ」と言われ、杉の生木を2〜3mmに薄くスライスしたもので屋根の下地に使います。この地方では昔から雨が多く(現在でも年間降水量では全国3位以内らしい)これを1/3から1/2重ねて屋根に貼り、瓦を敷くと雨が降ったときにこれが水を吸って膨れて隙間が締まり奥への雨水の侵入を防ぐそうです。晴れた日にはすぐ乾き呼吸するため年中家が元気だそうです。まったく先人の知恵に頭が下がります。

その13 棟上げ準備完了


万事整った。
明日は宜しくお願いします。
棟上げは晴天の大安吉日。
棟梁仲間とクレーン職人が
力を合わせて丸2日がかりでした。

その12 大黒柱



8mあります。太さは2尺(60cm)。
これだけまっすぐで無ぶしの
(「素性がいい」というそうです)
木材は滅多に出ないそうです。

下の写真は先の梁を携帯と比較しての図。

その11 梁・・らしい


使う材木は宮崎・鹿児島ご当地産で、ほとんどが霧島山系の木だそうです。

その10 棟上げ前




こんな巨木、こんなにたくさんいったいどこに使うつもりなんでしょう?

その9 墨 壺















最近建築現場でもあまり見かけなくなりました。

その8 基礎


基礎は高さ60cm。幅15cmのベタ基礎は鉄骨のピッチも20cmと
通常の2/3の間隔で入っており頑丈そのもの。
アンカーボルトも太い。床下換気も抜群でしょうね。

その7 家の方向決め



大工さんと私は家の向きを決めることになりました。
使い勝手を損なわずになんとか窓から山が見えるようになりました。

その6 地鎮祭


秋晴れの良い日に地鎮祭。東に神棚。
無事故で素敵な家が建ちますように。

その5 みんなの家















新居を構えるにあたって自分で作れない限り、誰かに作ってもらわなければなりません。近所に腕のいい職人がいるからと親類に勧められ会ってみることに。宮崎県清武町久永住建の久永隆行さん。「山小屋みたいなのが欲しいんですが。」「私が作ったら山小屋になりますわ。」この言葉で決まりでした。10ヶ月の間、みんなで知恵を出し合って一生に一度の家作りの始まりです。

その4 滝




滝。裏手は温泉で有名な硫黄谷。温泉の成分で岩肌は鉄錆色です。

その3 理想郷を求めて




外気温は1度くらい。テントから這い出すとまもなく日の出。湯を沸かす手を止めしばし見入る。

その2 理想郷




ここからは回想録みたいなものです。



1年半前、理想郷を探して南九州へ。
エアライズ2とNangaのシュラフ、バーナーとシェラカップをお供に。

その1 新天地




















3月も終わろうというころになってみごとな雪景色を見せてくれました。霧島山系の高千穂峰です。私の住まいの条件は、水と空気がおいしいこと。水害に強い高台であること。小学校が近くにあること。それから高千穂峰が見えることでした。